◆ 敬語とStyle 日本語の動詞の後に、否定・時制・可能・使役……などをあらわすさまざまな要素が付くことはすでに見ましたが、人称に関係する要素は付かないのでしょうか。主語の人称に対応する要素が動詞の後に付く言語は、かなりありますが、日本語ではそのようなことはありません。つまり、日本語では、人称変化あるいは人称接辞はありません。主語を述べればそれでいいわけです。いや、わかりきっている時には主語を述べる必要さえないことは前に述べた通りです。 「人称接辞がない言語で、主語を言わずに、意味が誤解なく通じるものでしょうか」と疑問をもつ人もいるかもしれませんが、これが、結構通じるものなのですね。もちろん、心配なら主語を表現すればいいわけですが、実は、この問題-主語を言わずに、誤解なく通じるのか、という問題-には、敬語の話も関係してきます。 このページでは、敬語honorific expressionsの話をしましょう。 「敬語はどうしても勉強しなければなりませんか。」 「日本語には敬語という厄介なものがあって、下から上へ使うんだそうだ。なんて封建的なんだろう。こんなものを習うなんてまっぴらだ。」という留学生が時々います。ですが、これは、かなりの誤解です。まず、敬語は、いつも下から上へ使うわけではありません。上から下へと使うことだって、いくらもあります。私が学生だったころの東大のある教授は、まことに碩学と呼ぶにふさわしい方でしたが、私たち学生に対しても本当に丁寧な言葉を使われたものです。現代の敬語は、かつての身分社会の時代の敬語とはかなり違ったものになってきています。「封建的だ」という思い込みは捨ててください。 「それでも、敬語は難しい。どうしても使わなければなりませんか。」という留学生もいます。 実は、ある割り切り方をしてしまえば、ノンネーティブの話し手の場合、敬語(すぐ後で述べる尊敬語や謙譲語)は、使えなくてもかまいません。もちろん、敬語を使うべきところで使わないのは、日本人の場合には、相手に与える印象がかなり悪いのですが、ノンネーティブの話し手が敬語を使えないことに関しては、日本社会はかなり寛容だと思います。 「ああ、よかった。じゃあ、敬語の勉強はしなくていいんですね。」いいえ、残念でした。そういうことにはなりません。なぜでしょうか。それは、相手が敬語を使って話してきたときに、意味がとれなくては困るからです。多くの日本人は、ノンネーティブの人の敬語の不使用には寛容であっても、「ノンネーティブの人に話す場合には、敬語を使わずに話してあげよう」などという配慮まではしないもので、容赦なく敬語を使って話しかけてくることがあります。日本人と相応のコミュニケーションをとるためには、少なくとも理解できる程度に敬語の勉強をすることは不可欠だと思ってください。 22
元のページ ../index.html#25